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20-09-2006

俺、日本代表!!

な~んてことはないww
友達の社会学のクラスの宿題で
外国の文化について、留学生にインタビューをする
というのに答えただけ。

でも、俺が日本代表
朝はスクランブルエッグにソーセージ
昼も夜も主食がパスタかピザ
そんな生活の中で自分が日本人に思える瞬間
れぺぜん、ってやつ。

今までの俺だったら、
宗教を答えられなかったり
日米の違いについてもこんなに知らなかったろうし
ゴールデンウィークをきちんと説明できなかったり
アメリカに来た理由を言うのをためらったり
してたでしょう。

リーダーシップスタディのクラスで
席が隣なだけの友達
遊んだりするわけじゃないけど
だからこそ知ってもらいたいな、と思ったり
ちょっと頑張ってみた
日本代表。
 

でも今日あったInternational Club's Reception
留学生集合写真に日本人が1人もいませんw
2名テスト勉強で先に帰り、
俺もインタビューのため先に抜け、1名不参加。
ジャパニーズ4名いるようでいない
そんなインターナショナルクラブ★
 
れぺぜん、もっとしっかりしようぜww
09-09-2006

UNITED 93

映画です。

9・11のお話。


9・11のすぐあとには、これらのハイジャックの中で

早稲田の生徒が1人いた、ということは

報道されていなかったように記憶しています。


2001年、9・11。5年前。

「それ」が起きた日は、たしか家で夜の日課のパソコンいじりしてて

久米さんだったか筑紫さんだったか、ただの特報だったか覚えてない。

一機目がつっこんだ、ニュースを見てた。

LIVEだった。

二機目が来た。

そのころの俺はテロだとかアフガンだとか石油だとか

そんな世界のゴタゴタは全く知らなかったから

あまりに珍しく、あまりにもひどい事故だな、って頭してた。

さすが劣等高校生、オメデタイもんだった。


その年、受験生は予定通り(?)受験を放棄し

受けた学校をぽろぽろ取りこぼしてみた。

そしてアメリカに行くと、ぬかし始めたわけだ。

バスケがしたいんです、だって。

何を考えてるんだか、このオメデタイ高校生は。

そう思ったろうな、俺の両親は。

何も考えて無かったよ、ゴメンナサイ。


2002年、12月、ウェストバージニアに着く。

実はこの時点で大学が「最終決定」してなかったのは

ある意味笑い話、よく考えればただのバカ、というかサイテー。

来ちゃえばこっちのもんだ、って思ってたのよ、ほんと。

しゃべれもしないのにw


そう、こっちのもんだった。

2003年、1月、イラクと戦争が始まる。

新聞テレビは戦争の話一色。

自分のキャンパスも騒がしいけど他人事のような空気が漂った。

ただ親にメールして、電話して、

「おじいちゃんおばあちゃんに電話して、安心させな」

そう言われた時に初めてアメリカにいることに気がついた。

旅行じゃない。バスケで骨をうずめる、この国に、と思ってた。

この国、、、戦争中の国に!!!???


そっから「戦争論」(小林よしのり)を読んじゃったのが

今の俺のはじまり。

じゃなければ、バスケを広げようとも思うことはなかった。

アメリカの空気を吸ってうまくなりたかっただけだもの。


知れば知るほど、アメリカの空気は

己の中の理想郷にあるであろうものとは違うことに気づいていく。

差別だ、メシはまずいだ、ステロイドだ、ドラッグだ、銃だ、、、


その空気は、俺に羽を与えてダンクをさせてくれるわけでもなく

ボールの邪魔をせず3Pがスコンスコン決まるようになるわけでもなかった

ただ、あるのは生きようとする渦のみ。。。


テロは悪い、というけど

今の世界は、テロも戦争も同義語でしょう。

弱者は何もできないで殺されるだけ。

ミサイルは飛ばす人がポチっとボタンを押すだけ。

飛ばした人は死体を見ることはない。

爆発したところにいた人は何もせずにお陀仏。

ポチっとやった人、戦場に行く度胸はないだろうな。


今までテロにカミカゼという形容を度々されてきて

とにかく腹立たしかったけど

弱者の最後の抵抗、武器が無ければ拳しかない

それを思えば一緒と思われるのも妥当なのかもしれない。

(カミカゼ知らなかった人いたよ、そういえばwいかんでw)


テロの擁護でもなく、神風特攻隊の賛否でもないです。


人間だけが「同類」を殺すんです。

人間だけが武器を持って戦うんです。

この地球で一番弱い生命体だから。


テロは悪い、んじゃないんです。

テロが怖い、んです、みんな。それだけなんです。

弱いから。


っと、映画の話は全く触れてないですね・・・まずった・・・

とにかく1つ言えることは

「バスケの国」という憧れだけでアメリカに来たガキが

テロと戦争だけで、頭の中が181度変わったってことです

そのテロを自分の乗っている飛行機かのように感じる

そんな映画でした


12月の冬休み、飛行機乗るのにビビらないといいんですが・・・



http://www.united93.jp/top.html
03-09-2006

アカデミックサスペンション

9月に入りました。あと4ヶ月で1年が終わってしまいます。
そして学校の秋学期(Fall Semester)も4ヶ月。12月の中旬には終わりますね。
 
一昨日バスケ部のミーティングがあって、入りたい学生が書類を書いていたんですが、そこで問題発生。
昨日チェックということでAtheletic Depertmentのトップの人と話をしてきた結果、
前の学校の成績がNCAAルールに引っかかるため、この秋学期はプレーできないことが決定しました。
 
成績が悪く、GPA(成績平均)が規定値2.0よりも低い学生は、2セメスターはプレーができない、ということだそうです。
 
前の学校を辞めたのが5月、日本に半年いて、今年1月から今の学校に転校してきたわけですが
まだ1~5月の学期1つしか終えてないため、残るもう1つの学期、それがこの秋学期になるってことです。
 
これぞNCAA、ってくらい骨身にしみるほどの経験をさせてもらってます。。。▄█▀█●ガーン
 
こればっかりは文句言っても覆ることはないし、チームにも迷惑がかかるし、なにより自分のやったこと。
サボった自分に言い訳はできません。だからどんなに無念でも受け入れるしかないですね。
 
学生は10セメスター(5年間)のうち8セメスターはNCAAの部活に参加・出場していいことになっています。
ちなみにDivision3はレッドシャツ制度を廃止したそうです。D2、D1は分かりませんが・・・
今までなら、その8セメスターとレッドシャツで2セメスター、計10セメスタープレーできたのが、今後は8セメスターまで。
で、俺はCoe Collegeで2シーズン分、4セメスター終えています。
もし1月から部活に参加という形になった場合、半期だとしても1年分プレーした、ということになり、残るは2セメスター分。
コーチからは「今年プレーしなければ、そのあと2年間丸まるプレーできるぞ」って提案も受けました。
 
1月からの参加となればバーシティ(1軍)の参加にはならない可能性が高いです。わざわざチームをいじることはしないでしょう。
JV(2軍)はその時点で試合は残り5試合、練習も1月で終わりです。本当に一瞬だけでしかないです。
ただJVの最終戦がUNCのJVとの対戦なので、それにはかなり興味がありますし、出てみたい。試してみたい。
もしもそこでチェックしてもらったら編入に有利か、、、!!??なんて、意味の無い妄想をしたりしています。
 
なんにしろ、1月の時点でベストのコンディションでいることが大切だし、成績をきちんと残すことも大切。
もっと自分を変革していかなければいけないと感じているので、時間があるこの学期に色々なものにチャレンジしようと思います。
部活がない分、勉強して、バイトして、トレーニングして、ヨガをやって、車の免許を取って、そしてダンクができるようになる。
そんな目標を持って、残る4ヶ月を過ごそうと思います。
 
あと試合に参加しない分、12月中旬から帰国することになると思います。そのときは皆様ヨロシクお願いします。忘年会でも呼んでくださいw
 
写真は世界バスケから☆